備長炭は熊野神社のある土地がルーツです
備長炭という名称は、江戸時代の頃に付いたと言われています。
和歌山県の田辺市で、「備中屋長左衛門」という商人が、地元のウバメガシの木を1000度で焼いたことから始まります。
ウバメガシ自体はどこにでも生育していますが、和歌山県の海岸沿いに生育するウバメガシは、他の同種の木材よりも密度が高く固いそうです。強い海風に吹かれ、その土地の気候も関係しているのか、樹齢に対して細くしまった木だそうです。
炭を焼くには木を切りますが、あまり太くなると切るのが超困難になります。今のようにおチェーンソーなど無いからです。その意味でも、樹齢にたいして細身であることは炭焼の原木としては理想的でした。
いずれにしても本来、備長炭というのはこの和歌山の南部で焼かれた炭のことを言います。
今では1000度以上で焼かれた炭=白炭(はくたん)を、総じて備長炭を呼んでいます。それでもなお備長炭とは紀州のソレについての名称であることは間違いありません。
熊野神社のある土地
私はまだ行ったことがありません。
伊勢神宮すらも行けていないのです。
伊勢神宮、熊野神社、出雲大社、3つとも最も行きたい場所です。
日本人なら当然かもしれませんね。
和歌山といえばミカンですが、これも江戸時代に和歌山の殿様に「うちの藩の財政のためにも何か売って稼いでくれ」と言われた某(なにがし)さんが、超頭ひねって考えだした方法で一気に和歌山のミカンを最高に有名にしました。
たしか11月ころに、ミカンを満載した船を東京湾の沖に到着させました。いいかげん接岸して上陸するだろうとおもった船が、なかなか陸に近寄りません。だんだん江戸の人たちが不思議がりまして、口コミでどんどん人があつまってきました。これが年末にもなると江戸中に評判となり大勢の人が「沖に停泊したままの船」を見物に来ます。
果たして元旦!
突然その船が動き出します。
これには大勢あつまった黒だかりの民衆も大騒ぎ。
1ヶ月に渡って停泊していた船が動き出し、岸に付けたかと思うと大勢の民衆に向かって「和歌山のミカンだぞ〜!」と、船上からありったけのミカンを投げまくりました。
これで一気に「和歌山のみかん」というイメージが定着しました。
炭とは関係ない話ですが、個人的には和歌山の人のブランディングは昔からうまかったんだろうなと信じ込んでいます。
もちろん品質は保証付き。
が、大前提ですが。
昭和の30年位までは、山のあるトコロ炭焼きありというくらい、日本中で炭が焼かれていました。それでも和歌山の紀州備長炭だけはまったくの別枠で、特別なものでした。ブランディングもうまかったと思いますが、同じ品質の炭が他になかったので当然といえば当然。
今でも同じ品質の炭は、四国の土佐備長炭しかありません。
さて当店の備長炭パウダーですが、
紀州備長炭100%です。
昔はこの備長炭専用のすりこぎがあったそうです。
このすりこぎで紀州備長炭を目一杯細かくして、食べていたそうです。
今はその紀州備長炭が、炭の歴史依頼はじめて希少種に
紀州備長炭、10年前までは大量に手に入りました。
一番の理由は、中国の炭が大量に日本に入っていたからです。
およそ日本で消費される炭の80%以上、場合によっては90%が中国産の炭でした。
かなり昔に、日本の燃料協会がきちんと生産指導し、お金も技術も提供して立派な炭竃をたくさん作りました。職人も育成しました。
この10数年の間に、3つほど大きなきっかけがあり、今では紀州備長炭は極端に少なくなりました。そして今後生産量が増えることはもう無いと言われています。
業界の人はだれも読まないと思って、ありのまま書いていますが、事実です。
最初のきっかけは尖閣問題だったかもしれません。
日本への輸出規制をしました。
最初の規制は、ザルで、賄賂でどうにでもなったそうです。
それほど影響はなかったのですが、今度は政治問題ではなく、中国の森林が徹底的に破壊され、指物中国政府も本腰を入れて森林保護に走ります。
それでもこっそり焼くのが人情。
しかしそこは共産党の中国。
山の中で煙が上がっているところを見つけると、重武装した警察なのか軍なのかが乗り込んでいって、炭窯を手榴弾などで爆破していたそうです。
こうして尖閣問題が最初のきっかけでしたが、最終的に日本に入ってくる備長炭はほぼゼロになりました。すでにそれから5年以上たちます。
これが1つめ
2つ目は、これもいつだったかしっかり覚えていないのですが、2000年台の後半に和歌山を大層な台風が襲いました。これで山奥の山道が破壊され、かなりの人数の職人さんも怪我をし、それがきっかけで引退したと聞きます。
都会では想像つかないですが、山奥過ぎて一回破壊された山道は、役所が手を付けること無く壊れたままで、走行しているうちに炭窯はじめその付近の土地がつかえなくなっていったそうです。
3つ目は、原木の少なさ。
植林もしていましたが、中国の炭が入ってこないために出来る限り焼きました。でもとうとう原木が少なくなってきました。離れた場所の木材を切って運ぶことになり、イマまで以上に手間がかかります。今後、備長炭文化が無くなることは無いと聞いていますが、本当にまったくといっていいほど手に入らなくなりました。
いまでは炭問屋に降ろす量が焼けないため、炭窯ごとにホームページを持って直接販売しています。
そんなわけで、一番の消費地であった東京。
その東京の大手の炭問屋にもほぼ在庫がありません。
あんなにたくさんあった紀州備長炭。
現在は土佐備長炭ですら品薄です。
当店で入手可能な量は、
土佐備長炭がせいぜい月に1度
数箱
紀州備長炭はほぼ皆無。
半年に1箱とかそんな感じでしょうか。
でも紀州備長炭パウダーは大丈夫。
小さすぎて、業務用に使えない紀州備長炭をたくさん集めているからです。
というわけで、紀州備長炭はその特性も他の炭にない特別なものですが、それについてはまたあとの投稿で書きたいと思います。
その紀州備長炭の特性ゆえ、様々な製品に使われてきました。
次回はこのあたりをお伝えしたいと思います。
最後までお読み頂きありがとうございました。